キッタンの思い出あのねちょう

32年間小学校の教師をしてきました。 そのときの子どもたちとの思い出を紹介します。

プライド

 先日、大相撲11月場所が大関貴景勝が優勝して終わりました。貴景勝と決定戦を戦ったのが小結照ノ富士です。11月場所ではとても力強い相撲を取り、最後まで優勝争いをしました。

 この力士は優勝経験もあり、大関にまでなりましたが怪我と病気のために大関から陥落し、序二段にまで落ちたのです。そしてようやく小結まで上がってきました。 

 序二段と言えば大相撲の下から二番目の地位。その序二段からの再スタートで難しかったことを聞かれて、照ノ富士は「大関だったというプライドを捨てること」と答えています。
 私も同じように、自分のプライドに悩まされたことがあります。

 

 40代半ばで初めて情緒特別支援学級を担任しました。3人の子どもたちを担任したのですが、その中の一人の子どものお母さんが、お迎えの時などに教室の様子を見て、私にアドバイスをくださるのです。こんな時はこうしたらいいですよ・・・と。正直言って、「えっ」と思いました。自分は情緒特別支援学級の担任が初めてとはいえ、教育のプロです。その方の話をにこやかに聞いてはいましたが、心の中はこの「教育のプロ」というプライドがうずいていました。だから最初は素直に聞けなかったのです。

 でも、そのころ初めての体験ばかりで、指導がなかなかうまくいかず悩んでいました。それで、自分の「教育のプロ」としてのプライドをぐっと押し込めて、そのお母さんのアドバイスを実践してみました。すると・・・うまくいくのです。

 それもそのはずです。そのお母さんはご自分のお子さんを育てるために、深く学ばれて実践されてきたのです。「親の会」の役員の経験もあったのです。私なんかよりよっぽど特別支援教育に詳しい方だったのです。

 ちっぽけなプライドでもそれを捨てるのは、難しいものです。でも、捨てることができたときに、手に入るもの、見えてくる景色があるのだなあ・・と思いました。

 

 そういえば聖書にも、プライドを捨てることができたために重い病気が癒やされた人がいます。ナアマン将軍です。アラム人のこの将軍は勇士でしたが、ツァラアトという重い皮膚病にかかっていました。その病気を治してもらうために、イスラエル預言者エリシャの所に行きます。(預言者というのは、神様の言葉を人々に伝える人です)エリシャは将軍に会いもせずに、ヨルダン川で7回体を洗うように伝えます。すると、将軍は怒って帰って行こうとするのです。アラムの王様に重んじられていた将軍としてのプライドが傷ついたのです。しかし、部下にいさめられて言われたとおりにします。すると、ツァラアトが癒やされて「幼子のからだのように」なったのです。プライドを捨てて、素晴らしいものを手に入れたのです。

 でも、この将軍よりももっと大きなプライドを捨てたのは、イエス・キリストですよね。神としてのプライドを捨てたのですから。